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1851年、最初に大稻埕にやってきた林藍田氏は三軒の中国閩南式町屋を建てました。1859年、台北霞海城隍廟の竣工とともに、地域信仰の中心ができました。それから1869年、イギリス人商人のドット氏が大稻埕に製茶工場を構え、台湾茶(Formosa Tea)を海外に輸出したため、外国人商人が相次いで大稻埕埠頭の沿岸部に商業拠点と領事館を置きました。
1895年以降、都市計画を実施するにあたり、日本人が脱亜論を唱え、欧風建築スタイルを取り入れようとしたため、大稻埕の家屋が華やかな表を持つようになりました。また、新設した「永楽町市場」が重要な生地の問屋街となったことを受け、他の産業が次々と大稻埕で展開し、今でも茶葉、漢方薬、生地と布、洋裁用品などのお店が根強く残されています。
ここ数年、大稻埕では「歴史的風貌保存計画」により、古い家屋が次第に修復されてきました。また、アーティストショップ、アトリエ、カフェなどの進出により、新旧形態の商店が共存するという新たなまちの顔が生まれ、歴史‧文化の町として知られています。
林五湖祖厝
( 台北城市散步|Taipei Walking Tour)
大稻埕
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陳天來故居
( 台北城市散步|Taipei Walking Tour)
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大稲埕を笑って歩こう
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